最近のこと

3月、4月は忙しかった。
仕事を辞めようと思って、辞める前にバイトをはじめたから。
平日、仕事が終わってからバイト、土日もバイトをしていた。
バイトをはじめたころは、まだそんなに自粛ムードではなく、バイト先には私はバンドマンなのでライブの日は仕事できないと伝えていた。

そこからはもうすごいスピードでいろいろなことが変わった。
3月末、気がついたら会社がリモートワークになっていた。
本当に出社したくなかったので助かった。
バイトもリモートになったので、多い時は12時間以上ずっと家で作業していた。
テレビがないので、情報はツイッターでみていたけど、なにが本当なのかわからなかった。
とても不安になる一方で、こんなに周りがパニックになっていることは今まで経験したことがなかったので、安心する面もあった。
平常時からなんでみんな平気な顔で生きてるんだろう…と疑問で一人で不安になっていたので、こんなこと言っちゃだめかもしれないけど、みんなが不安だと、みんなが私の気持ちをわかってくれたように錯覚してしまい安心してしまった。
その安心も束の間、みんなが大変な時に安全な場所で安心していることに罪悪感が生まれてきた。
家にさえいれば安心だ、と思っていたけど、一人で近くの居酒屋に行ってみたり、銭湯に行ってみたりした。
そのたびにドキドキして、でも一時の娯楽を楽しみもして、そして家に帰ってツイッターでコロナの情報を見て、出かけたことを後悔した。
なにをしたら正解なのかもうわからないし、ただバイトと仕事が忙しかったので、いろんなことを直視せずにほとんど働いていた。
いっぱい働いてわかったことは、本当に人は忙しいと、すぐに1ヶ月とか2ヶ月とか経ってしまうということだった。
政府のいろんなやばい話にキレたりはしていたけど、一番優先してしまうのは目先の仕事だった。
目先の金が一番大事に見えてしまう。
そして金がないと人は病む。
バンドするために働いてたけど、なんだかしばらく活動できそうにないし、ホッとしている自分がこわかった。
去年の終わりくらいから、やりたいことをやるために頑張って働くことに限界が見えていた時期だった。
別にブラック企業とかではないけれど、とにかく働くのが嫌すぎてしんどくなってきていた。
そして春から仕事をやめて生活を見直そうと思って。
そんなときにちょうどコロナがぶつかった。
4月、楽しみにしていたライブは全部なくなった。
友達の結婚式も延期になった。

自粛生活でシェアハウスの人がみんな家にいるようになった。
今まではみんな昼は仕事に行ってたし、土日も遊びにでかけてたし、自分もそうだったので、大きなストレスはなかったが、みんな朝から晩まで、休日も家にいた。
そんな状況で心底嫌になってしまい、内見をはじめた。
不要不急かもしれないけど、会社員の地位を捨てたら家の審査がおりないかもしれないと思うと、自分にとっては必要至急の引越しだった。
お金の面が心配でシェアハウスからなかなか脱出できなかったが、皮肉にも政府の10万が引越しの決め手となった。
そろそろ楽器が弾けないこともストレスになっていたので、楽器可物件を探した。
23区ではないけれど、もう出社もしないしいいやと思って、西の方に住むことにした。
家を契約して帰宅すると、そういえば相性が悪い隣の部屋の住人が長く帰宅していないことに気付く。
このまま一生帰ってこないならこのシェアハウスも悪くないのにな、と少し後悔したが、どうやら出張で出ているだけでいずれ帰ってくるらしいので、やはり引越しは必要至急という結論に至る。
せっかく隣人がいないので1ヶ月ぶりくらいにフルメイクをしてインスタライブで弾き語りをした。
アーカイブは間違えて全部消した。

 

本社から退職手続きの書類を送ったから返送してくれと連絡が来た。
現場からも退職のために一度くるように連絡があった。
1年半働いたけど、変な現場だったので、誰とも飲み会とかしたことないし、誰のこともよく知らなかった。
本社の人には良くしてもらったけど、現場に出向するというシステム上、1年に3回くらいしか会わなかったので、よくわからなかった。
なんかよくわからないまま初の正社員生活は終わりを迎えようとしていた。
正社員してよかったことは、自分は「出社して上司と部下がいるような環境の一般的な正社員」として働くことは今後ないだろうなと諦めがついたことだった。
やってみたらできるんじゃないかと思ってやってみたけど、やっぱり無理だった。
9時出社が無理だったので、10時出社にしてもらったり、挙げ句の果ては週5が無理だったので週4で出社を許可してもらった。
それでもなお遅刻することがあった。
こんなにいろいろ配慮してくれたのになあと思うと申し訳なくなってしまったけど、もう無理なもんは無理やねんて…ごめんなさい。という感じで退職だ。
でももう開き直って生きていくしかないなと思った。

 

こんな状態になる前から、ずっとずっと生きづらかったけど全部自分が悪いからつらいんだと思っていた。
結構前、まだ東京にくる前で性格も暗かったころ、phaさんの本で「自己責任論」という言葉を知った。
自分はニートの才能しかないと思っていたので、とりあえずニートとして有名なphaさんの本を手に取ったのだ。

「僕の感覚では、別にニートに限らず何事においてもだけど、自己責任と、それ以外の自分でどうしようもないことの割合は50%50%くらいだ。だけど、今の日本社会では9割くらいが自己責任に押し付けられているように感じる。」

目が覚めるような気持ちになった。
学校にいけないのも、働けないのも、全部全部自分のせいだと思っていたけど、その社会のシステムが奇跡的に自分に全く合わないだけで、自分が全部悪いわけじゃないのかもしれないな、と思ってから、肩の荷がおりてちょっと性格が明るくなった。
なのでそれから憂鬱な気持ちに飲まれそうになったときは全部心の中で自分以外の大きいものに責任を押し付けている。
たとえば社会のシステムとかそれをつくった政府とか。
そうすると「まあ自分のせいじゃないしいいかー」と思い持ち直すことができて今のちょっと明るい性格になった。

なので今の自己責任論で蔓延している社会がすごいこわい。
みんなそんなに、自分の成功も自分の失敗も自分ひとりのものだと思っているのか?と思うと、本当に恐ろしい。
私は自分がこれから何かで成功したとしても、何かで失敗したとしても全部自分だけのものじゃないと思うし、それは他人にも当てはまると思う。
病気になったりすると、体調管理をしっかりしなかったから、とか言ってくるやつがいるけど、そういうのも納得いかない。
病気なんてどれだけ気をつけてもなるやつはなるし、ならない奴はならない。

 

少し前の話だけど、上野千鶴子さんが東大の祝辞で言ってたことも、自己責任論に繋がってくる話だと思った。本当によくわかるし感動してやばかったんだけど、めっちゃ炎上していてそれも怖くなってしまった。
もちろん、成功している人は並々ならぬ努力をしていてそれはすごいけど、その成功は本当に自分の力だけなのか一度考えてみてほしいと思った。

それでライオットガールのZINEとかも読んでいたし、たまに時間があいたらフェミニズムの本をちょこちょこ読むようになった。

フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

上野千鶴子さんは言っているけど、本当にこの言葉に出会った時は「私がいつも思っていたことだ」と思って衝撃をうけた。

 

このへんの話はもっと深く考えてまとめたいなと思うんだけど、自己責任論とかフェミニズムとかいろいろと知ってしまうともう社会の構造に目をそらすことができなくなってきて、そしてこのコロナの状況で、自分の中で「なんでこんなに生きるのがつらいのか」という物心ついてからの問いが、今すべてが繋がってきている。
生きることに答えなどないと思うけど、どうしてつらいのかわかんない状態から、なぜつらいのかぼんやりと輪郭が見えてきた感じだ。
そしてそれは今世帯主に一括給付とか、なんでライブハウスの仕事を選んだんだ、とか、不安定なのも承知でフリーランスになったんでしょ?とか、自粛は要請するのに補助がないとか、政府批判するなとか、とにかくありとあらゆる、いまやばいことの全てと絶対に繋がるんだけど、私の脳はもうパンク寸前で、どうしても言葉でのアウトプットが難しい。

そんなことを毎日考えては、あーこれからどうやって暮らそうかなあ、という問いに戻って、寝て、起きて、あーどうしよっかなあーってそんな感じです。